セヴァ |
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セヴァ(奉仕)の心について 先日12月12,13日のスワミ来日時には全員一致協力でセヴァをして頂き深く感謝申し上げます。スワミのお食事のお世話をされた方は朝早くから夜遅くまで休む暇もなく誠心誠意心から奉仕をなされ、最後の方は疲れたお顔をスワミに気づかれないように元気に振る舞い、最後まで頑張り通されましたね。きっとババにもスワミにも通じた事と思われます。また無農薬のお野菜を自宅から持参されたり、その他の食材や、食器、お鍋など多額をご供養頂き重ねて感謝申し上げます。私も何回かスワミと食事をさせていただき、その温かい心使いが胸の奥まで通じて来ました。 通訳や受付や食事の買出しなど本当にスムーズに全て無事執り行う事ができました。そして、今回初めて参加された方々からお礼のメールやお手紙が多く来ています。先輩方にエスコートしていただきとても楽しい2日間だったそうです。また次回も絶対参加しますので、自分たちにもセヴァをさせて下さい。何かさせて欲しいとの申し入れも全員から来ています。ある人からはこの様なお電話がありました。「今回は参加させて頂き、本当に有難う御座いました。帰って何かババの為に出来る事は無いかとずっと考えていました。そこで須藤さんと先輩の会話の中に予算不足でストーブの給油タンクの設置が出来なかったと仰っていましたので、どうかその寄付を私にさせて下さい。」 ある人からはバラのお花を沢山送って頂いたり、ドネーションBOXの中にはババの為に使って下さいと寄付金が入っていたり、手渡しで工事の一部にして下さいと申し入れをされたり、本当に涙がこぼれ落ちる気持ちにさせていただきました。本当に有難う御座います。決して金額ではなく、その気持ちが芽生えたことに将来の成功を感じるとともに責任を痛感しているところです。 「ワースツーを改善して、何か良い事はあったかい?」 いいえ今のところはありませんが、今からではないですか。とスワミに答えたのですが、 帰った後にいろいろと効果が出ていることに気づきました。 ある新人の方からのメールに次回はセヴァをさせて下さい。もちろんトイレ掃除からで結構ですから、絶対お願いします。うれしい〜ですね。 10日には福岡からわざわざババホールのお掃除に来て頂いた人。又ガラス磨きに来て頂いた人、本当にセヴァの心が芽吹いて来ていることが実感できるスワミ来日でした。今回の反省点を文書にし、次回はもっと美味しい料理を作るように研究します。1日早く入って準備しますから絶対やらせて欲しい。時間があれば生徒のお握りとお味噌汁も作って見たいなど、非常に盛り上がった雰囲気の中で散会となり、本当に有意義な2日間でした。※シヴァラトリ祭のセヴァは後日発表しますが、基本的にはもう一度同じセクションでやって見たいと思っています。 セヴァについて スワミとババの一番お喜びになることはなんと言っても教える弟子が増えることであります。その為にはどうするかを皆様方で考えて欲しいのです。 修行とは只マントラを唱え俗世間から離れるだけではありません。日々の生活においても修行はできるものであります。困った人がいれば、そっと手を差し伸べて上げる等、今回初めて参加される方々の心境は不安と期待で一杯であると思われます。あなたも初めての時は同じだったことでしょう。私たちの様に長くスワミに接していますと、ついつい自分たちの為にスワミが来日される錯覚に陥りますが、スワミの来日の目的の一番はあくまでも布教活動なのです。新しいお弟子さんを開拓し自分(ババ)の教えを広めることにより大きなエネルギーのサークルを作る事を目的としているのです。 良くこんな事を耳にしますね。スワミに紹介しても良いけど今の雰囲気では紹介できないよ。・・・・・・これは何を指しているのでしょうか? この雰囲気は誰が作っているのでしょうか。100人いれば100人の考えがあります。自分の思い通りにならないのがこの世であり、自分の都合の良いようにしょうとすると、反対に自分の都合に会わない人がでてきますね。・・・・。前回5月に来日された時、このような事がありました。ある人の宿舎に泊まられた2人が突然プログラムのキャンセルを申し入れて来たのです。お話によりますと同宿している長老(長くスワミの弟子である人)から、そんなプログラムを受けても何にもならないよ。やめときな。と、言われたそうです。そういわれた2人は逆らうと雰囲気がおかしくなるので、キャンセルの道を選ばれたと聞いています。意味のない事をスワミがプログラムするでしょうか?スワミを疑って修行して何の意味があるでしょうか?私たちはスワミの偉大さを理解し認識しているからこそ、弟子でいるのではないでしょうか。少なくとも私はそう思っています。相手のお話をじっくり聞いてあげ、同調してあげ、あくまでも自分の考えは、自分の考えに過ぎないことを認識し、親が子供を育てるように、少しくらい自由にしてあげなければ、強い子供は育ちません。自分の小さな知識を絶対と信じる親に育てられた子供は大きくは育たないと思うのです。宇宙から比べたら人間の知恵(智慧ではありません)など星屑みたいなものです。 私たちは神やスワミやババに全托してからが本当の霊性修行者と言える人になるのです。先ほどのお話のように全托できない人のアドヴァイスは100害あって1利なしです。少し修行を積み上げていきますと、傲慢になり知ったかぶりになり、いろいろと人に講釈する人が増えてきますが、決して耳を傾けてはいけません。手に入れかけては離し、また手に入れかけては離しと、何度も何度も繰り返してきています。この恐ろしいマーヤの振いに振る落とされないように、しっかりした目標をもち、絶対元の木阿弥になってはいけません。耳を傾ける貴方の方が前世では修行しているかも知れません。あの空海さんを思いだして下さい。中国の清龍寺に行かれました。そのお寺には1000名の直弟子がいましたが、結果的には空海さんが相伝を引き継ぎ日本に帰りました。ババのご講和を考えて下さい。耐えて耐えて最後にタティアは相伝されましたね。・・・・・・・ スワミのご講和(美夢さん訳) 「人の信仰の邪魔をするのはネガティブです。純粋なネガティブです。悪いカルマです。 それに影響されて思いとどまれば、それもネガティブであり、カルマなのです。」 人を紹介したから自分のアドバイスを聞けと言う考えはカルマを積む事になりかねません。紹介した人はその日からスワミの弟子になったのですから、紹介した人も、紹介された人も同行であり兄弟弟子であります。この点も大きく勘違いしている方がいます。紹介した人は自分の弟子だと錯覚(執着)している人を多々みかけます。が、そうでしょうか?どうか修行しながらカルマを積み上げていく馬鹿なことはおやめになって下さい。いくらスワミが力を貸しても焼け石に水になること間違いなしです。グループの長として正式にスワミから許可がでるまではスワミのお弟子さんなのです。 オープンハートとは今までの知識を全て捨て去り、神に全托し、新しい知識を吸収する為の言葉と私は解釈していますが、自分の考えや、思ったことを、何でも言ったり、要求したりする事をオープンハートと思っている人をみかけますので、もう一度スワミが言われるオープンハートの本当の意味を勉強する必要も感じている昨今であります。 スワミのグルディ・メッセイジに重要な部分があります。確か人間死ぬ9時間前になれば自分が死ぬことに気づくと書いていたように思っています。以前スワミはこのように言われました。私たちが死ぬ寸前に全ての過ちをシヴァ神に救いとっていただけなければいけない。「シヴァ神様、どうかこの世で犯した罪をお許し下さいオーム、ナマ、シヴァーヤ」。と言って死んでいかなければいけないと聞かされています。この死ぬ前の9時間と言う貴重な時間をどうした心で受け入れるかが、修行の目的において重要と考えられます。 もし、この9時間の間執着だらけでしたら、来世はどうなるのでしょうね。地獄とは一体どこにあるのでしょうかね。天国にいくか、地獄に行くか、わずかこの9時間にかかっていると言っても過言ではないでしょう。こ9時間の為に人間と生まれた瞬間から修行をさせられているのです。修行にもサム行、布施行、プラティクス(マントラ行)の3つの基本があると言われています。世の中にはお金大好き人間が沢山いますから、決して否定は致しませんし、お金がなければ生活もできません。人を助けるにも先ず自分が幸せにならなければいけないとスワミも仰っています。またまた勘違いするのですが、1億円あったら100万円施せるのではないのです。スワミが言っている真髄は「無執着」になればいくらお金がなくても、その人は幸せであると言っているのです。言い換えれば悟りの境地に入ったならお金の執着はなくなり、人に施しが出来ると言っているのです。 ババとスワミの会話の中で教えられていますね。ババがスワミの子供の時にこう言いましたね。「少年よ私に50ルピーくれないか?」おじちゃん僕は50ルピーも持ってないよ。どうしてもいるなら家に帰って来るから待っていてね。帰ろうとする少年にババは、こう言いました。「ぼうやポケットに50ルピー入っているだろう」入ってないよだから家に帰ってくるよ。「ポケットを探してご覧」あった、どうしてだろう、怪訝な顔をしている少年を後にしてババは去って行ったのです。この少年はババの入学試験に見事パスして、今のカレスワールスワミの誕生に至ったのです。もちろん少年のポケットの50ルピーはババが物質移動したものであります。どう嘘をつくかのババは試したと思うのです。 信仰の国インドでは、例え自分が50ルピーしかなく、その50ルピーで後10日間暮らさなければいけない状態でも、自分より困った人がいたなら、その中の1ルピーでも5ルピーでも与えることが平然と行われています。自分より金持ちにはオネダリして当然と思っているから乞食が沢山いるし、またそれを当然と許している、奥の深い国でもあります。また仏教の国のタイでは、お坊さんの位は非常に高く、お坊さんが夕方托鉢にきたら、自分の胃袋を半分にしてもお坊さんに持って帰って頂く、高貴な精神の国と聞いています。 これらの事を通して私たちは何を考えなければいけないのでしょうか?死ぬ前の9時間をどのように過ごしたら良いのでしょうか?・・・・一番良いことはシヴァのマントラを唱え続けることでしょう。しかし、この世に執着があったなら、唱え続けることができるでしょうか。強欲な人はもっとお金を儲ける算段をしたり、自分が蓄えた財産を誰かに盗られるのではないかと、疑心暗鬼になり、自分の身内まで盗人に見えるようになるそうです。そして、1秒前に気が着くのです。しまった。・・・・・マントラを忘れていた。仏教では「南無」の一声で極楽浄土にいけると言われています。 突然スワミからマントラを唱えるように言われ、マントラが浮かびあがらなかった経験はありませんか。臨終のその時は、スワミの前であがる心境とは比べ物にならないくらい、いろいろの事が頭を過り、後悔をする事が多々であるようです。しまった、もう少しマントラを唱えておけば良かった。しまった、もう少し神の為にすれば良かった等と後悔しないように、いつも恋人を思う以上に神を思って頂きたいものです。そして、肝心なときに「オームナマシヴァーヤ」を忘れないように日々精進を怠らないことをお勧め致します。そして神にスワミにババに常に顔を向け、本当の真実は何かを嗅ぎ取って頂きたいものです。死ぬまでに無執着になることです。修行の目的は無執着になることであると置き換えても何ら問題はないでしょう。 もう一度考えて見ましょう。一生の内の僅か9時間の為に修行しているかも知れないのです。この臨終の時に「ああ〜良い一生を送ることが出来た。何も思い残すことはない。」と、無執着で死んでいく道を、あの手この手でスワミは教えていると私は思っています。 今回も新人さんが何人かお見えになりますので、どうかこの大事な事を学ぶ第一歩を踏み出す方々である事を念頭におかれまして、事ある毎にスワミの偉大さや、人間の目的とは、霊性修行の必要性などプラスの言葉で接して下さることをお願い致します。私たちの態度や振る舞いを見てスワミを評価していることが感じられていますので、よろしくお願いする次第です。
企画実行委員長 須藤 健三 |
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